日本の生態学者、 文化人類学者、登山家で、京都大学名誉教授、岐阜大学名誉教授を歴任され、日本の霊長類研究の 創始者として知られる今西錦司先生は、こう話されています。

 科学技術と自然哲学の両輪は、シャフトで結ばれている限り健全な走行を約束します。カントは、科学技術の進展から予想される唯物論・機械論から形而上学を守るために、その二つを明確に分離したのですが、そのこころを知らず、片輪走行を始めたのが20世紀の科学文明であり、兵器開発や環境破壊の道へローマ時代と同じく曲行していきました。

問題なのは、その車が馬車とは比較にならない加速を持っていることかもしれません。

 私たちは、素粒子のミクロの世界や、DNAなどの遺伝機構、銀河団やクェーサーなどのマクロの宇宙に関する知識を得ました。これらを人類の先輩から受け継いだ私たちは、もう一度この自然をみなおして、なにが語られているのかを、もう一度謙虚に耳を傾ける時代にきています。これらの膨大な知識にひるむことなく、これをまとめあげるより多くの愛と智慧を噴出させる必要があるのです。

 「客観的な精神としての自然」に耳を傾けたなら、「私はずっとここにいましたよ。ずっと人類が、こころを開いてくれるのを待っていましたよ。」と何世紀にもわたって、ずっと耐えてきた自然に出会う事ができると思います。

そのあいだに、私たちは森を開き、汚水を流し、空を汚してしまったが、それでも昔と変わることのない優しい声で、ふたたびこころを交わすことができると思います。

 そのとき、私たちはなにをしなくてはならないかがわかる。
なつかしいマイハート<故郷>への復帰運動、自然哲学は、その準備の一つであるでしょう。
、と。